沖縄本島は南城市にある奥武島。
アクセスの良さもあいまって人気の離島ですが、奥武島の歴史は古く、島の人々しか知らない拝所も存在します。
今日はそんなディープな奥武島をご紹介します!
はじめて奥武島に行く方は、まずこちらの記事をご覧ください
→奥武島の魅力は天ぷらだけじゃない!2時間で島を1週して秘境巡り
奥武の歴史と文化
奥武は約700年前に玉城グスク落城の際に玉城按司(たまぐすくあじ)の子女がこの島に逃れて国立てしたとの言い伝えがある古い歴史を持った集落になります。
周囲は1.7km、最高海抜16mの自然の景色がとても澄んでいて美しい島で、昭和39年(1964年)に新沖縄観光名所に選ばれています。
四方を海に囲まれているため、島の人々は古より海の恵みを受けて暮らしてきました。
明治40年(1907年)には、漁獲物の分配共助成度や納税基準制度等が評価され、沖縄県の模範集落になりました。
また、海難事故や沖縄戦などによる漁業衰退の危機を一致団結の精神で乗り越えてきました。
現在は若い漁師が多く、養殖や近海漁業の盛んな「海人の島」として活気づいています。
島には多くの御嶽(うたき)や井泉(かー)、拝所、赤瓦の家や石垣、フクギ、スージ(細道のこと)が点在していてのどかな散策コースとしても最適で人気があります。
奥武島のパワースポット
奥武観音堂(おうかんのんどう)
1615年に暴風で難破した唐船を救助したお礼に贈られた観音像を祀った堂であり、島の中心的な拝所になっています。
殿(とぅん)
観音堂と並ぶくらいに重要な参拝所で、東之御嶽、中之御嶽、西之御嶽、竜宮神への遥拝所である。
※遥拝所(ようはいじょ)とは遠く離れた所から神仏などを拝むために設けられた場所のこと。
玉城按司兼松金(たまぐすくあじかにまちがに)の墓
奥武島の集落の発祥に関わる重要なお墓。
約700年前、玉城グスクの落城により奥武島に逃れた玉城大屋子(たまぐすくうふやく)と新垣大屋子の祖母の墓である。
大城幸之一先生の銅像(おおしろモニュメント)
初代漁協組合長で、医師であり偉大な政治家であった島の偉人・大城幸之一先生の功績を讃えるために作られた銅像です。
ミシラギ
暴風で難破した唐船をつないだとされる岩。海神祭では、奥武観音堂などを祈願した後、ここからハーリーがスタートする。
※ハーリーとは、航海の安全や豊漁を祈願しサバニと呼ばれる伝統漁船で競漕を行う行事のことです。また、沖縄本島南部の糸満など一部の地域では「ハーレー」と呼ぶ地域もあるそうです。
産井戸(うぶがー)、東ガー
島で一番古い井戸と言われています。正月の若い水、産湯、死者の清め水等に使う。旧正月にカーミジナティーが行われ新年の宴をする。
ヒータチー(灯台)
明治45(1912)年以前からある灯台。石油ランプを灯して夜間の安全航路に重要な役割を果たした。
今もこの場所には石積みが残されています。
竜宮神
海野神様を祀った拝所で、旧暦3月3日等に航海安全と豊量等を祈願する。
海に接していて周辺は巨大な岩に囲まれていて神秘的な雰囲気があります。
奥武島の風物詩!お祭りもある
海神祭(ハーリー)
旧暦の5月4日に行われる爬龍船(ハーリー)競漕の時には数千人の観客が集まり島は活気にあふれます。
観音堂祭
5年に一度、観音堂の前広場で棒術や臼太鼓(うしでーく)などの奉納演武が区民総出で盛大に行われます。